広島県ふくやまで特別支援教育に携わる
関係者のHPです

寄稿 この事態だからこそ「考える」ことの大切さ


               この事態だからこそ「考える」ことの大切さ 

                                                          事務局員 永井 智樹(基幹相談支援センタークローバー) 
 

  新型コロナウイルス感染症が全世界に蔓延し、我が国でも初の緊急事態宣言が全国に発令されています。私の勤務先も4月中旬から個別の面談や訪問などの相談・支援は控えるようにし、WISC-Ⅳによるアセスメントも自粛しています。緊急事態宣言の延長前から、市教委は5月末までの休校を決定していましたが、子ども達や教員にとってこれほど長く学校で学習をしないという経験はなかなかないでしょうし、これからもないかもしれません。この非常事態に戸惑っていたり、先が見えずに不安になっていたりする人は多いと思います。 

 ただ、私が定期的に相談を受けている不登校児やひきこもりで、特に自閉スペクトラム症タイプの方やご家族からは、むしろこの事態でとても安定した暮らしができているという話をお聞きしています。そもそも「学校に行きなさい」「仕事しなさい」といった、「みんなと同じ」「普通であること」を求められられても、その通りにできなくて困っている人達なので、その普通を強いられないということだけでもとても嬉しいことなのだと思います。さらに本人と家族が「何が」「どんな条件で」「どこからどこまで」できるーできないのかを考えながら生活を組み立て、できたことを認めてもらっていると、この非常時の影響を受けずに「平時」として過ごせているようです。 

 また、不要・不急の外出を控える生活で親子関係が悪化しているという話も耳にしますが、その理由の中に、勉強しようとしない子どもを叱りつけてさせようとした結果で起きていることもあるようです。保護者の方が先の見えない不安を抱え、思い通りにしてくれない、わかってくれない子どもにイライラしてしまうということが、あちこちの家庭で起きているのかもしれません。 

 一人ひとり感じ方、考え方は異なっていて、全く同じ人はいないはずです。でもある程度同じ条件でできる、わかることを前提にして集団での活動・学習を行っているのが学校だし、社会もそうだと思います。条件が同じで済むのであれば効率的だし、だいたいの人は平均範囲内です。でも多数派から外れてしまい、支援が必要になると、専門医から「発達障がい(もしくは知的障がい)」という診断名が告げられます。ただ同じ人でも、どんな場所や集団で、何を求められるかによってできるーできない、困る―困らないが異なります。好きなこと、得意なことはできるから本人も周囲も困っていないということがあるからです。そうすると、どこまでが平均範囲内で、どこから「障がい」に該当するかも条件や基準によって異なるので、その境目もあいまいということになります。世の中が便利になって、より複雑になってきたらからこそ、適応しにくい人も増えてきた結果、「発達障がい」の名前がつく人が増加しているとも言えるし、診断名がついていなくても、当てはまるという人も多いということです。 

 福山市や府中市では、2014年に周辺の市町6市2町が共同で運営する「こども発達支援センター」が開設されてから、発達障がいの診断を受けて小学校に入学する児童が増えました。 また、入学後に発達障がいの診断が必要な場合には、新患予約が先になるものの、広島県立福山若草園小児科が県東部の中心となって診療を行っています。これらの機関で診断を受けたことで適切な指導が行われている子ども達が多いのは事実です。ただ、診断名がついていたら対応を考えるが、そうじゃなかったらみんなと同じようにしてもらうということで医療機関に紹介されてしまうということも現実に起きています。 

「なぜできないんだろう?」ということを考える余裕がなくて、「できない理由は発達障がいだからで、診断名があったら対応もわかる」という「答え」だけを求めている教員や保護者が多くなっているとしたらとても心配です。「発達障がいだから仕方がない」とか、「専門家にお願いしたらなんとかなる」としか考えずに、余計にその子の「なぜ?」を考えようとしなくなるからです。さらに診断がついた子に対して、いかに「普通に近づけるか」を求めていたとしたら、特性を持つ本人達にとっては、「どうせ誰にもわかってもらえない」「どうしたら暮らしやすくなるのか、誰も一緒に考えてもらえない」という思いを植え付けてしまいかねません。 

 その子の感じ方、考え方を理解し、受け止めた上で、どんなやり方をしたらいいのか、どんな工夫ができるのかを一緒に考えていくのが発達障がいの支援だし、特別支援教育のはずです。そしてそれはいろんな立場や考えの人がいることを認め合い、共に暮らすという意味では高齢化社会に向けた「共生社会」や、他の民族や人種の人達との「異文化交流」とも通じることです。「なぜ?」→「こうかもしれない」「こういうことも考えられる」→「だとしたらどんなやり方があるのか」を一緒に考える。そして実行した結果を振り返り、できたことーできなかったことを仕分けして、その理由についてまた「なぜ?」を一緒に考えて、よりよい方法をみつけていく…このことが、文科省が提唱する「主体的、対話的で深い学び」ということではないでしょうか。新型コロナウイルス感染拡大による非常事態だからこそ、今、まさに社会全体で「アクティブラーニング」を行っているのだと思います。 

 自閉スペクトラムやADHD、LDなどの発達障がいの診断を受けている子やそのご家族が、普通を強いられる中での暮らしにくさを抱える中で、「なぜだろう」「こうかもしれない」「だとしたらこれならできそう」と考えながら、その子なりのやり方をみつけていくと、「みんなとは違うかもしれないけれど、これならできる」「ここまでならできる」「この場所ならできる」「自分のことを認めてくれる人もいる」ということがわかってきます。そして、自分を認めてくれる人がいることで、その相手のことも認められるようになります。この非常時だからこそ、みな自分にとって大切なこと、できることを考えて行動するようになりました。そういった意味では発達障がいの子ども達やご家族は、私達の先輩と言えるかもしれません。 

 福山特別支援教育研究会では、支援が必要な子達の「なぜ?」を、「どんなことが考えられるか」「だとしたらどんな方法があるか」を考える研修を行っています。「答えだけ知る」のではなく、「答えをみつける」「そのために考える」学びを、これからも一緒にしていきましょう。